ベルリン国立バレエ「チャイコフスキー」 1月20日の感想
2011/02/05(Sat)
舞台を見て2週間以上も経ってしまって感動も記憶も・・・だけれど、もしかしたらまたこの作品を見る機会があるかもしれないと期待して鑑賞後にメモった事を纏めながら備忘録的に自分用に。


<1幕>
交響曲5番第1,2,3楽章、聖ヨハネス・クリソストムスの典礼6楽章、交響曲5番第4楽章

硬直状態でベッドに横たわっているマラーホフの後ろにカラボスとその手下たちが現れ、チャイコフスキーにさらなる苦しみを与えているよう。 幕開けから禍々しくおどろおどろしい・・・。 
何人かの親族?に起こされベッドの前で苦しみながらも踊りだすマラーホフ。 見終わってから思えば、このシーンから主役のマラーホフはほとんど舞台に出ずっぱりの踊りっぱなしだった。
マラーホフが再びベッドに横たわり、スポットライトがベッドを浮かび上がらせたその瞬間、横たわっているマラーホフの後ろから同じ衣装の分身が飛び起きる。 まさに一つの肉体から別の人格をもつもう一つの肉体が分離した感じだった。 分身役のデュデクは大柄で精悍で存在感もマラーホフに負けていない。 リフトの多い二人の踊りはのっけからハードでマラーホフの体力的な負担も相当なものだろうと思われた。

日傘をさした人々を笑顔で見つめる若き日のチャイコフスキー。 メック夫人との出会い。 紫のロングドレスで伸びやかに踊るクノップの上品さが印象的。 そして男たちと楽しそうに戯れているミリュコワとの出会い。
ロットバルトとオスの黒鳥たちが現れる。 ロットバルトのダイナミックな動きとちゃんと鳥を感じさせながらも暗黒からの使者的にチャイコフスキーを翻弄する黒鳥たちの踊りも良かった。
黒鳥を追い払ったチャイコフスキーの前に白鳥たちが現れる。 5番の2楽章のゆったりとしたホルンの旋律に乗ってパ・ド・ブレと上に片手を上げるあの白鳥ポーズを繰り返す白鳥たちの前で踊るマラーホフの身体のしなやかで美しい事! 
ミリュコワとメック夫人も出てきて踊ったような踊らないような怪しいメモ書きが・・・(笑) あの、眠りのパノラマをなんとなく想像させる旋律でチャイコフスキーと妻が踊ってたっけ??

ドロッセルマイヤーがくるみ割り人形を持って現れ、チャイコフスキーに人形を渡す。 魂の抜け殻のような表情で人形を片手に踊るマラーホフ。 ここの振り、片方の肘を上げ、膝を折る動きがボヤルチコフの人形の振りだった! ねずみの面をつけたメック夫人とミリュコワも見える。 愛と安らぎの象徴の王子。 チャイコフスキーのキスで目覚めたくるみ割り王子はまるでオーロラだ。 このシーン、妙にドキドキしてしまった・・・。 笑顔に愛嬌を感じてしまいノーブルな動きには見えないタマズラカルの王子というのは、ここでは好みとして外れるなぁ。 そしてチャイコフスキーの気持ちを解さず消えてしまう王子。

指揮棒を持って来た分身が音楽活動を催促する。 第3楽章のワルツの明るい響きがチャイコフスキーの人生も望ましい方向へ向かうようなそんな暗示にも感じられる。 メック夫人も現れ作曲をし音楽と向かい合うように優しく励ます。 クノップの母性を感じさせる優しい眼差しとしなやかな肢体はやはり魅力的。

その後、白鳥やら黒鳥やらが入り混じって出てきたような・・・。 その後に聖ヨハネス・クリソストムスの典礼6楽章が流れる厳かなな雰囲気の中でのチャイコフスキーと分身との現実から逃避するような踊り。 

チャイコフスキーとミリュコワの結婚式。 彼らの結婚を祝福する人たちに見守られ満足げに幸せそうな笑みを見せるミリュコワと、気力も失せ放心状態で隣にいる妻の存在に怯えているようにも見えるチャイコフスキーの対比。 ミリュコワの躍動感ある踊りも喜びを一身に表している。 ここで使われている5番終楽章は運命に対する「勝利の凱歌」とも正反対の「敗北」とも解釈されているそうで、その両方の解釈がそれぞれミリュコワとチャイコフスキーに振り当てられているのかもしれない。 ミリュコワが巻きつけた白いヴェールにがんじがらめにされもがき苦しむチャイコフスキー。 結婚によってもたらされた新たな苦悩の始まり。


<第2幕>
弦楽セレナードハ長調第2,3楽章、イタリア奇想曲、交響曲第6番第4楽章

メック夫人の衣装がゴールドに。 弦楽セレナードのワルツにのって踊る楽しげな人々を物憂げな表情でみやるメック夫人。 夫人の別荘地でのひと時か。
続いて現れたチャイコフスキーは1幕のラストとは打って変わって柔和な表情。 分身に気を取られていると舞台奥に設置されたバーでレッスンするダンサーが。 王子としてはう~んなタマズラカルも、若さと明るさが輝かしいこのダンサー役は良かった。 少女が登場し、チャイコフスキーは彼女に心惹かれる。 少女もチャイコフスキーに近づきイノセントな微笑を浮かべるが、ダンサーと踊り、手を取られるようにして去ってしまう。 少女役のサレンコはたったこれだけだったけれど、清らかで愛らしい彼女の登場は大きなインパクトがある。 逆に言えばそれだけの存在感が必要だという事なので、ここにプリンシパルを配するのも納得。
チャイコフスキーと分身の踊り。 二人の踊りは、常にもがき苦しみ恨み言をぶつけるようなチャイコフスキーと、それに同調したり突き放したりする分身との苦悩と葛藤の連鎖のようだ。
少し苛立たしそうな表情のメック夫人がチャイコフスキーの背後からお札の雨を降らせる。 屈辱的な扱いに怒りと悔しさと情けなさが入り混じったようなマラーホフの表情。 

3人の男との情事に耽るミリュコワ。 音楽がイタリア奇想曲に変わる。 
チャイコフスキーとミリュコワのPDD。 他の男ではなくチャイコフスキーの愛を求める妻と妻を忌まわしい存在としか思えないチャイコフスキーとの切なく狂気的な踊り。 2幕になってからもアクロバティックな振りの連続でマラーホフは本当に大変だろうけど、それを一切感じさせないのもまた凄い。

カード遊びが始まる。 男性コール・ドのマッチョな踊りがかっこよくて眼福。 思えば2005年にバレエ団が来日した時にはバヤデルカを1公演見ただけで、影の王国のバレリーナたちの記憶はあるものの、男性ダンサーたちの記憶は薄く・・・(何を思い誰を愛しているのか分からなかったシュピ君だけしか記憶にない)。 身体能力の高そうな容姿に恵まれたダンサーが多いのだわね。 
分身とジョーカーが現れる。 タマズラカルはやはりこういうキャラでのバネのある踊りが素晴らしい。 もちろんデュデクの体躯を生かした存在感たっぷりな踊りもいい。
男たちの中から姿を現したメック夫人。 一瞬本人なのかと疑うほどの不敵な表情で杖を持つ姿は悪のカラボスのようにも見える。 支援を打ち切ったメック夫人にチャイコフスキーが裏切られたと感じたとしても、彼女にスペードの女王の伯爵夫人を重ねるのは無理があるよなぁぁ。 
チャイコフスキーが再び現れ、踊りに加わる。 男性ダンサーたちが上着を脱ぎ捨てると、胸がハートとダイヤ型に切り抜かれた黒いTシャツ? 入り乱れる男たちが同性愛の世界を描き出す。
カードゲームのシーンでは中央に置かれたテーブルが効果的に使われ、ダンサーたちの動線が3Dに広がる。

第6番悲愴の終楽章。
チャイコフスキーとメック夫人との離別の踊り。 カラボスのようだった夫人がまた慈愛の人に戻っていたが、パトロンとしての役目を終えチャイコフスキーの元から去る。 後ろ髪を引かれるような切ない表情で去っていったのが確かこの場面だったと・・・。

唯一の理解者の突然の心変わりに打ちのめされたチャイコフスキーの前に、髪が抜け落ち廃人のようになったミリュコワが現れる。 狂人、廃人となってもまだ夫を我が物としたい妻と、その妻を嫌悪と不幸の象徴としか見られない夫のまさしく悲愴というか壮絶なPDD。 突き進む狂気の中にも純粋さが見えたようなサイダコワの演技は鳥肌物。 ついにチャイコフスキーはボロボロになったヴェールでミリュコワの首を絞め、妄想の中で彼女を葬る。

チャイコフスキーと分身の踊り。 分身が倒れると王子が現れ、分身を起こし白鳥たちと光の差す方へと消えていく。 安らかな世界を得た分身とは対照的に黒服の男たちにかつがれ丸テーブルに逆さまに吊るされるチャイコフスキー。 まるで磔のような姿で死を迎えた彼の体が黒い布に覆われ静かにこの世から消えて行く。 



2時間があっという間。 マラーホフ、デュデク、クノップ、サイダコワの渾身のパフォーマンスは本当に素晴らしく、彼らの内一人でも力量の劣るダンサーだったらここまで印象的な舞台にはならなかっただろうと思う。 特にサイダコワは秀逸。  
アクロバティックな振りも多く、ダンサーには技術的にも体力的にも踊りこなすのが大変な作品だと思うけれど、エイフマンの振りのベースとなるものは、それほど奇をてらったものではないので、見ている自分はとても自然に受け入れられる好みのダンスだと今回強く感じた。 身体をより雄弁に語らせ、旋律からも感情移入させられるような音楽の使い方も上手いと思う。
そしてアンナ・カレーニナ同様、群舞は主人公の心理、社会の目、舞台美術というように多くの役割を果たしながら、踊りも多くフル回転。 
そんなわけでとても満足な公演でしたが、作品的にはエイフマンのフォーカスしたチャイコフスキーのイメージがある意味極端で彼の苦悩、葛藤、孤独感、失望が誇張されすぎていて、そのためにミリュコワとメック夫人のキャラクター付けが事実とは(書物からの知識に過ぎませんが)異なっているように感じる部分が多いので、諸手を挙げて絶賛というわけではないです。 チャイコフスキーの人生を死の床から振り返り、1時間半に凝縮してドラマとするとなるとチャイコフスキー自身の描写も含めて難しいのだろうと思いますが、ミリュコワは気の毒すぎる。 彼女も安易な結婚の犠牲者なのだから。 

それでも「アンナ・カレーニナ」も「チャイコフスキー」も自分としてはとても気に入り、彼の作品世界に魅力を感じるのでもっともっと見たく思います。 是非、ご自身のカンパニーを引き連れて、少しでも早く来日公演を行って欲しいです。



チャイコフスキー:ウラジーミル・マラーホフ
分身/ドロッセルマイヤー:ヴィスラウ・デュデク
フォン・メック夫人:ベアトリス・クノップ
チャイコフスキーの妻:ナディア・サイダコワ
王子(若者/ジョーカー):ディヌ・タマズラカル
少女:ヤーナ・サレンコ

指揮: ヴェロ・ペーン
演奏: 東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団

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