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顔のないスパイ
2012/09/09(Sun)
「顔のないスパイ」
原題:The Double (2011年 米 98分)
監督:マイケル・ブラント
出演:リチャード・ギア、トファー・グレイス、マーティン・シーン、スティーブン・モイヤー
観賞日:9月1日(DVD)

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ワシントンで起きたロシアと密接な関係を持つ上院議員の殺害事件。その手口から捜査線上に浮上したのは、すでに死んだと思われていたソビエト伝説のスパイ“カシウス”だった。犯人はカシウスなのか?そして、彼は生きていたのか?事件の真相を解明するため、CIAは、一度は引退した冷戦時代の元諜報員ポール(リチャード・ギア)を呼び寄せ、仕事への情熱に溢れる若きFBI捜査官ギアリー(トファー・グレイス)とチームを組ませ捜査にあたらせる。捜査が進むにつれ、明らかになるカシウスの正体。だがそこに浮かび上がったのは、まさにチームのリーダー、ポール本人だった…(goo映画より)。

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DVDデータ7月号に人気脚本家のマイケル・ブラントが11年間温めていた企画で、多面的なキャラ設定と予測を裏切るプロットが秀逸と紹介されていたので気になっていた映画。 にもかかわらずすっかり忘れていて、たまたまこの日見たかった「ヒューゴの不思議な発明」のブルーレイがすべて貸し出し中だったので思い出して急遽見る事に。 いつもはチェックしている原題をこの日はなぜか確認するのを忘れてしまった上に、映画が始まってからも見逃したのだけれど、今回はそれが良かったような気がします。 

「アメリア永遠の翼」で、自由奔放な妻を深く愛し優しく支える夫を演じたリチャード・ギア。 こういう役がこの人は本当に似合うよなぁぁとつくづく思っていただけに、彼がソビエトの伝説のスパイを葬った凄腕の元CIAエージェントってのも意外性があって興味深かったけれど、ま、何て事はない、彼の醸し出す雰囲気に合ったキャラクターとストーリーでした。  病院でのシーンはちょっと凄みがあって、おおっと思ったけれど、目を細めて冷徹な表情を装うのはやはりなんとなく無理を感じてしまう。
スパイダーマン3のヴェノムよりヴァレンタインディの郵便係りの純朴青年が魅力的だったトファー・グレイスも、大学の修士論文のテーマにしたほどに取り憑かれていたカシウスを自ら追跡する事になった新米FBI捜査官の熱血ぶりを好演。 


で、ここから思いっきりネタばれです。
主役陣の設定の分かりやすさや軽快なテンポに序盤はけっこう引き込まれたのに、意外なほど早い段階でカシウスの正体が明らかになってしまいちょっと拍子抜け。 ただ、ならば別の狙いや意表をついた展開があるのだろうとさらに予想外な結末を期待しながらストーリーを追いかけた中盤以降、ギアリーがポールこそがカシウスだと断定する過程やポールに自分の素性を疑わせる事になった軽率な行為など、つっこみを入れたいところは多々あったけれど、それなりに楽しめました。 しっかし、ギアリーまでが裏のある人物とは思わなかったなぁ。 原題が「The Double」としっかり確認していたらどうだったろうか? ポールがカシウスなのではと疑うよりは、ギアリーの事をカシウスを狙うポールを阻止する役目を担った二重スパイと思い込んだかもしれない。 でもそれじゃタイトルにするほどのインパクトはないか・・・。

この映画、さきほど公式サイトの予告編を見てみたら、なんと何から何までバレバレ! 最後まで隠されるべきところをほぼすべて明かした上であえて見せたかったものは何なのだろう?
スパイ、暗殺者という非情な世界を生き抜いたはずだった熟年の男とその入り口に立った若者を出会わせることでそれぞれの葛藤や悲哀、それでも失わない人間らしさを描きたかったのだろうか。
それにしても最後が・・・。 この腕時計をはめているからこの人がカシウスです!で一件落着はないなぁ・・・。 冒頭の少年野球のシーンから伏線が張られていた腕時計はなかなかインパクトのある使われ方をしていたのに最後が乱暴でちょっとがっかり。

CIA長官役でマーティン・シーンが出ていました。 彼も現在72歳ですが、名脇役として元気に活躍中というのは嬉しいです。 
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グラン・トリノ
2009/05/30(Sat)
「グラン・トリノ」
原題: GRAN TORINO (2008年 米・豪 117分)
監督: クリント・イーストウッド
出演: クリント・イーストウッド、ビー・バン、アーニー・ハー、クリストファー・カーリー
鑑賞日: 5月16日 (立川シネマ2)

グラントリノ2

朝鮮戦争の帰還兵ウォルト・コワルスキー(クリント・イーストウッド)はフォード社を退職し、妻も亡くなりマンネリ化した生活を送っている。彼の妻はウォルトに懺悔することを望んでいたが、頑固な彼は牧師の勧めも断る。そんな時、近所のアジア系移民のギャングがウォルトの隣に住むおとなしい少年タオ(ビー・バン)にウォルトの所有する1972年製グラン・トリノを盗ませようとする。タオに銃を向けるウォルトだが、この出会いがこの二人のこれからの人生を変えていく…。( goo映画より)

グラントリノ


イーストウッドはこの映画を最後に俳優稼業からは引退するというような事を言っていたようです。 イーストウッド本人が自分の映画にそんなセンチメンタルな小細工をするとは思わないけれど、こちらが半分覚悟を決めて見ているせいか、集大成ともとれるほど過去の様々なヒーロー役が浮かんで来てしまった作品でした。

冒頭、妻の葬儀で牧師の話を聞きながら、息子たちのひそひそ話や孫たちの行儀悪さ、服装のだらしなさ、果てには牧師の話にまで眉をひそめ、嫌悪感を顕わにし、死者を悼んでウォルト家の会食に集まった人々には「ハムを食べにきただけだ」と切って捨てるウォルト。 偏屈爺にしろ、こんなに分かりやすい性格の主人公をイーストウッドが演じるのも珍しいと思う。

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ウォルトのもう一つの憤懣の種はフォードの街として栄えた誇り高い街が、アメリカ自動車産業の弱体化によって姿を変えていき、近隣の住民がかつての同僚たちからアジア系移民に取って代わられている事だった。 ついでに言えば、自分の息子がトヨタの車に乗っているのも気に入らない。 良き時代のアメリカを知り、気高いアメリカ人という意識を常に持つウォルトは、ごく当たり前のように有色人種に対する偏見を持っている。

そんなウォルトが、いざこざを起こしているアジア系不良グループが自分の家の芝生に立ち入った事に腹を立て、彼らを追い払うために銃を向けた事が、彼らから嫌がらせを受けていた隣家の少年タオを救う事になり、モン族であるタオ少年の一家とのかかわりが始まる。 寡黙なタオとは対照的に話好きで明るくウィットに富んだ姉のスーに、ウォルトは自分でも不思議なほど自然に心を開いていくのだった。
モン族の人たちと打ち解けていくウォルトには、愛犬のみに向けられて、牧師や息子には決して見せなかった優しい眼差しがあり、目をかけるようになったタオを見守る表情からは慈愛のようなものすら感じられた。  
また、スーとタオに素晴らしい女性と結婚できた自分は幸せだとまで語るウォルトにも彼の別な一面を見ることができる。
それでも、「どうにもならない身内より、ここの連中の方が身近に思える」と呟いたウォルトが見いだした彼らとの平穏な日常も長くは続かなかった。 心静かに暮らすモン族の人たちやタオとスーの家族を守るために、ウォルトが不良グループを徹底的に痛めつけた報復としてスーが暴行される。 その事を知ったウォルトの怒りと悲しみと罪悪感。 この出来事がウォルトの人生をある地点に向けて急速に動かしていく。

どう決着をつけるのだろうと思っていた。 馴染みの理髪店に寄ったところまでは何か別の・・・と、希望をつないでいたけれど、彼がジャケットを直しに行ったところで、それがいつ着るためのジャケットなのかというのが暗示され、その後は見るのが少し辛かった。 

ウォルトは自ら教会に出向き、ヤノビッチ神父相手に懺悔をする。 朝鮮戦争に従軍し人の命を奪い、部隊の中で自分一人生き残ってしまった事はウォルトの心の中に暗い影を落とし重くのしかかっていた。 今でこそ帰還兵の精神障害や心痛について社会の理解が進んでいるけれど、ウォルトの世代ではそれを黙って耐えて乗り越えていくしかなかったのだろう。 亡き妻がウォルトに懺悔をさせるように神父に言い残していったのは、自分亡き後、誰にも心の内を明かす事のできない彼が苦しみから解き放たれ、少しでも穏やかな日々を送れるようにと願った妻の深い愛情だったのだと思う。

事の結末は、ただただ悲しい。 こうなる事が分かってはいても、これがウォルトの正義であり贖罪であり愛だと理解できても悲しさだけが残った。

映画の締めくくり方はいかにもイーストウッドらしい。 衝撃的なウォルトの映像からごく自然にもとのトーンに戻っている。 彼の息子家族は相変わらずだけれど、ヘソダシ娘の望みだけは叶わず! 
誇らしげな顔でグラントリノを運転するタオのとなりにはウォルトの愛犬デイジーが。 思わず微笑んでしまうラストシーンだった。

エンディングに流れる「グラン・トリノ」。 息子のカイル・イーストウッドも作曲に参加し最初の数フレーズはクリント本人が歌っています。 渋いかすれ声が、客席のあちこちから聞こえてくる鼻をすする音にかき消されそうだった・・・。

明日、5月31日はクリント・イーストウッドの79歳の誕生日。
役者引退宣言など撤回して、もし彼が心惹かれる役を見つけたらいつでもスクリーンに戻って来て欲しいです。 まだまだまだまだ十分に魅力的だもの!!

この映画の音楽の事も含め、クリントの長男のカイル・イーストウッドが父親の素顔を語ったインタビュー記事がこちら
そしてクリントがロスアンジェルスでスポニチ(なんでスポニチ??)の単独インタビューに応じ、俳優引退宣言とも受け取れる発言をした記事がこちら
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宮廷画家ゴヤは見た
2009/05/11(Mon)
「宮廷画家ゴヤは見た」
原題:GOYA`S GHOSTS (2006年 米・西 114分)
監督:ミロス・フォアマン
出演:ハビエル・バルデム、ナタリー・ポートマン、ステラン・スカルスガル、ランディ・クエイド
鑑賞日:4月25日(DVD)

ゴヤ

18世紀末のスペイン。 宮廷画家に任命されながら、権力批判と社会風刺に富んだ作品も精力的に制作し続けるゴヤ(ステラン・スカルスガル)。 彼が手がけた2枚の肖像画の人物―裕福な商人の娘で天使のように美しいイネス(ナタリー・ポートマン)と、異端審問を強硬するカトリック教会の神父ロレンソ―(ハビエル・バルデム)が運命的に出会う。 異教徒の疑いで捕えられたイネスを救ってほしいとゴヤに頼まれたロレンソは、拷問を受け牢に繋がれたイネスに面会し、思わず抱きしめるのだった。 (goo映画より)

裕福な家庭に育った美しい娘イネスとカトリック教会の権威を取りもどそすために手段は選ばないロレンソ神父。 居酒屋で豚肉を食べなかったという事だけでユダヤ教徒の嫌疑をかけられ投獄されたイネスの釈放を、ゴヤを通してイネスの父から頼まれたロレンソが牢獄を訪れ彼女に接した事から二人の人生が重なっていく。 彼らの周囲の人々のみならず王族や教会関係者など激動の時代に翻弄された人々をゴヤの目を通してありのままに描いた佳作。 
「エリザベス」でも感じさせられたように、権力者の交代や正統とされている宗教の衰退などであっという間に立場が逆転し、追う者が追われる者になったり迫害されていた者が迫害する立場に変わったりという世の中の移り変わりの速さと恐ろしさをまざまざと感じた映画でもある。

ゴヤ1


「カッコーの巣の上で」と「アマデウス」で2度のアカデミー賞監督賞を受賞しているフォアマン監督のこの作品に命を与え深く考えさせる作品とさせたのは、やはり主演の3人の力ではないかと思う。
ロレンソ神父役のハビエル・バルデムは、ともかくその容貌と醸し出す雰囲気が、権力欲にとりつかれた不遜な人物そのものだったし、ステラン・スカルスガルは善的な存在でイネスを支え続けるゴヤを存在感たっぷりに演じていた。 (そのステラン・スカルスガル、映画を見ている間中、どこかで見た、何かで見たと思いながら結局分からなかったのだけれど、「マンマ・ミーア」のあの3人の父親候補の最年長の男性を演じていた役者さんだったんですねー。 あー、すっきりした!)
それでもなんといっても素晴らしかったのはナタリー。 幸福な頃の天使のようなイネス、運命を狂わされ半分廃人のようになったイネス、彼女の娘の反抗的で奔放な娼婦アリシアを見事に演じわけていた。 特にナポレオン率いるフランスの介入により10年以上に渡る投獄生活から開放され、精神を病みながらも娘のアリシアを求め続けるイネスには凄まじさが感じられた。
終盤、英国軍と手を結んだスペインの民衆がナポレオン軍を撃退すると、ロレンソは捕えられ裁判を受け死刑判決を受ける。 それまでの罪を悔い改めれば死刑は取り下げるという申し出を受け入れなかったロレンソは何を自分の命と引き換えに主張したのだろうか?
処刑後、ロレンソの死体を乗せた荷車の周りを走り回りながら追いかけていく子供たちと共にロレンソの手を握りながらゴヤに向かって振り返り、混乱の中で拾い上げた赤ん坊を抱きながら屈託のない天使の微笑を見せるイネスの姿に言い知れぬ悲しさを感じた。
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君の涙ドナウに流れ ハンガリー1956
2008/09/14(Sun)
「君の涙ドナウに流れ ハンガリー1956」
原題:SZABADSAG,ZERELEM (2006年 ハンガリー 120分)
監督:クリスティナ・ゴダ
出演:イバーン・フェニェー、カタ・ドボー、シャーンドル・チャーニ、カーロイ・ゲステシ
鑑賞日:8月30日 (DVD)

君の涙

1956年、ソ連支配の共産主義政権下にあったハンガリーの首都ブダペストで、改革を求め学生運動に身を投じる女子学生ヴィキ(カタ・ドボー)と、メルボルン・オリンピック出場を目前にした水球チームの花形選手カルチ(イバーン・フェニェー)が出会う。それまで政治に無関心だったカルチも、秘密警察AVOや軍の横暴に傍観者ではいられなくなる。同時にヴィキを愛するようになったカルチはオリンピックよりも彼女の傍にいることを決意するのだが…。(goo映画より)

ドナウ1


<いつも以上にまとまりのない記事になっております・・。ただ一人でも多くの人に見て欲しい映画です。>
アメリカなどでは「Children of Glory」という題名で公開されているようだけれど、邦題しかり、いかにも好んで用いられそうな題名だなぁ。
原題のSZABADSAGはFreedomという意味らしいです。 ZERELEMの方はわからないのですが(愛?)。 この時代のハンガリーの国民にとって自由というのは、この世の中で一番尊いもので、手の届かないものだった。 それを1956年のハンガリー動乱を舞台に一組の若い男女の悲恋を絡ませて描いているのが本作品です。

その自由を阻むものとして駐留ソ連軍同様に恐ろしかったのが秘密警察AVOの存在。 独裁政権下や他国の支配を受けている政権の下で不穏分子を排除するために設けられるこの恐ろしい機関に常に見張られているという恐怖はいかばかりだろう。
「硫黄島からの手紙」でもその非道ぶりが少し描かれていたけれど、日本にも第2次世界大戦が終結するまでは特別高等警察という組織があったのですよね。

ドナウ


デモ隊と秘密警察の衝突や、ソ連軍と民衆の激しい銃撃戦など混乱を極めた末に改革派の指導者ナジ・イムレが首相に復職し、ハンガリー中立宣言、ソ連軍の完全撤退、AVOの廃止などを表明、実現していきハンガリーにもようやく平和が訪れたかのように思えた。
水球選手としてオリンピックに出場する夢を捨てヴィキと共に生きる決心をしたカルチに、戦争は終わったのだから今はオリンピックに出て夢をかなえて欲しいとメルボルン行きを諭すヴィキ。 お互いをいつも感じていられるようにヴィキの母親の形見のネックレスとカルチの幸福の時計を取替え、再会を信じてカルチはチームに戻りメルボルンへ向かう。

しかし平穏はつかの間、ソ連軍がまたしてもブダペスト侵攻、市民に砲撃を加え街を占拠する。 ソ連軍の容赦ない攻撃は、一時でも引き上げた不本意さをあたりちらすかのようにも見えた。
この状況下で学生連盟本部でも、勝ち目のない戦いで無駄に命を落とすよりは、今は逃げて生き延びて新たな機会を待つという意見も生まれたが、リーダーが数日すればアメリカ軍の支援が得られると主張し、ヴィキやその他のメンバーの多くもそれに従う。
結局アメリカを始め国連や西側諸国からの支援はなく状況はさらに悪化し、ヴィキも秘密警察に捕らえられてしまう。 西側諸国からの援軍についての信憑性はわからないけれど、この西側に対するわずかな期待さえなければもう少し多くの命が助かったのではないかと思うと痛ましい。

捕らえられた秘密警察の留置所で、ヴィキはフェリおじさんと名乗る最高幹部から武器や食料を提供していた者や仲間の学生の名前を教えれば自由にすると甘い言葉をかけられるが、最後まで正義を貫き同士を守り通す。 同士の名前の変わりにスターリン、フルシチョフ、フェリおじさんなどと書いた紙を渡したために、彼の怒りをかい、処刑される事となってしまう。

処刑場に向かう彼女は涙をこらえ、カルチから預かった幸運の時計を握り締めてハンガリー国家を歌いだす。 ヴィキの顔に、オリンピックで金メダルを獲った水球チームのメダル授与式で掲げられたハンガリー国旗が重なり国家が流れる。
「長きに渡り不幸に追われたる民に喜びの日々を与えたまえ。 過去から未来にいたるすべての罪を背負いし我らに。」
カルチもまた手にヴィキから渡されたネックレスをしっかり握り締め国家を口ずさむが、ブダペストの凄惨な状況とヴィキを思う彼の目からは涙が溢れて止まらなかった。
そして引き続き流されるマライ・シャーンドルの”天使のうた”
「理解の及ばぬものを前に人は立ち尽くす。 暴動の末、平穏が訪れた。 でも私たちは忘れない。 自由を求めどれほどの血が流されたかを。 自由の国に生まれた物には理解も及ぶまい。  だが私たちは何度でも繰り返しかみ締める。 自由がすべてに勝る贈り物であることを。」
この映画のメッセージでもあるこの詩、自由の国に生きている自分にもずっしりと響いてくる言葉です。 歴史上、世界のいたるところで考えられないほどの多くの人たちが流した血と、痛み、絶望、無念の涙のうえに今の自分の生命と自由な生活があるのだと、人の命、自分の命、人の人生、自分の人生、すべて大切にしなければならないものだと、痛切に感じます。


映画の核の一つである迫力ある水球シーンには撮影当事オリンピック2大会連続金メダルの実際のハンガリー代表が参加していたそうです。 ハンガリーは先日の北京オリンピックでも金メダルに輝き、3連覇という偉業を成し遂げていますが、ハンガリーにとって水球というスポーツは今でも特別な意味のある競技なのでしょうね。

カルチを演じたイバーン・フェニェーは79年生まれの新進気鋭のハンガリー人の役者だそうですが、すでに「ジャーヘッド」のピンコ役でハリウッド・デビューも果たしているハリウッドでも注目の若手だそうです。 ちゃらちゃらしたプレイボーイ気取りのカルチもなかなかいけてましたが(笑) ヴィキと本当の恋に落ちた後で彼女を見つめるあの優しい目がたまらなかったですね!
カルチという一人の男性がヴィキと出会うことによって短時間で自らの人生観が全く変わってしまうという役どころを不自然さを感じさせることなく見せてくれたのもイバーンの持つ魅力あってのものかもしれません。

ヴィキ役のカタ・ドボーも目を惹かれる知的な美人で、やや激情的で意志の強い活動家を魅力的に演じていたと思います。


イバーン・フェニェーのインタビューをこちらで読むことができます。
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グアンタナモ 僕達が見た真実
2008/07/12(Sat)
「グアンタナモ 僕達が見た真実」
原題 : THE ROAD TO GUANTANAMO (2006年 英 96分)
監督 : マイケル・ウィンターボトム、マット・ホワイトクロス
出演 : アルファーン・ウスマーン、ファルハド・ハールーン、リズワーン・アフマド
鑑賞日: 6月21日 (DVD)

グアンタナモ

パキスタン系イギリス人のアシフは、結婚式を挙げるため友人のローヘル、シャフィク、ムニールを誘い、パキスタンへ向かった。そこで隣国アフガニスタンの様子を知った彼らは、実情を見るために国境を越える。その直後、米軍の空爆が始まった。混乱の中、ムニールは行方不明になり、残った3人はタリバンとまちがえられ、捕虜になる。やがて彼らの素性を怪しむ米軍により、3人はキューバのグアンタナモ基地へと移送される…。(goo映画より)

アシフ、ローヘル、シャフィク本人たちのインタビューをまじえてドキュメンタリー色を強く出しながら、彼らの2001年9月から2004年3月までの3年半を再現ドラマで描いた優れた一本だったと思う。

映画を見ている間も見終わった後も、このようなことが起こっていいわけがないと重い気持ちになり言葉を失う。
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イギリスで普通に暮らしていたパキスタン系英国人が、結婚がきっかけで彼らのルーツであるパキスタンを訪れた際に、米国の軍事介入で混乱が生じている隣国アフガニスタンの実情を知り、困っている人たちを助けたいという、意気さかんな若者らしい純粋な気持ちで足を踏み入れたアフガニスタンで、なぜあんな事にまきこまれなければならないのか・・・。

混沌の中、誰が味方で誰が裏切り者なのかもわからず、気がついたときはタリバンと行動を共にしていたために北部同盟軍に捕まり、アラブ系の外見が災いしてアルカイダのメンバーと疑われ米軍に拘束される。 ロックしてしまえば中は真っ暗闇、高温、酸素不足の貨物用のコンテナに押し込められ、
拘留地に到着するなり外から機関銃の容赦ない銃撃を受けるという信じられない行為を奇跡的に生き抜いた彼らを待っていたのは二つの収容所での過酷な日々。
とりわけキューバのグアンタナモ収容所での人を人とも思わない扱い、アルカイダのメンバーであると自白させるだめだけの容赦ない拷問は想像を絶する。 
屋外のコンクリートの上に並べられた檻のような監房はサソリやタランチュラに刺される危険にもさらされている。 
9.11後、凶悪なテロリストが人知れずその正体を隠しながら米国の日常生活に紛れ込んでいる可能性に怯える心情は理解できるけれども、その見えない敵をあぶりだすための手段を間違えれば、また惨事は繰り返されるということをしっかり認識するべきだ。
ここまで捩れて歪んでしまった現状をほんのわずか良くしていくことさえ不可能に思える今、せめて人を人として扱い、人として対応していかなければアメリカに正義も何もないだろう。
言い知れぬ恐怖を味わい無念の死を遂げたただの市民が世界中に数多くいるという事実を私達はきちんと知っていないといけないのだと強く思う。

尚、昨年6月時点での話ですが、ローヘルは空港へ行く度に2,3時間も拘束され、検査や質問を受けなければならないのだそうです。 彼の事を無罪として釈放したのなら、彼らにあの過酷で屈辱的な3年半の出来事を思い出させるような行為は許されないはずです。 
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キングダム 見えざる敵
2007/11/17(Sat)
「キングダム 見えざる敵」
原題 : THE KINGDOM (2007年 米 110分)
監督 : ピーター・バーグ 
出演 : ジェイミー・フォックス、クリス・クーパー、ジェニファー・ガーナー、ジェイソン・ベイトマン
鑑賞日 : 10月31日 (新宿オデオン座)
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サウジアラビアの外国人居住区で自爆テロ事件が発生した。事件で同僚を失ったFBI捜査官のフルーリー(ジェイミー・フォックス)は現地での捜査を強く主張し、マスコミの手を借りてそれを実現した。メイズ(ジェニファー・ガーナー)やサイクス(クリス・クーパー)ら同僚と共にサウジへと渡るフルーリー。サウジ国家警察のアル・ガージー大佐(アシュラフ・バルフム)に迎えられた彼らは空港から爆発現場へと直行し、そのすさまじい状況を見て愕然とする。そしてフルーリーたちは早速本格的な調査を開始しようとするのだが…。(goo映画より)
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<ネタばれありです>
劇中の激しい銃撃戦よりもぞっとしたのはやはり映画の最後に明らかになる双方の言葉。 事件が起った直後、親しい友人だった同僚を失って悲しむメイズを一瞬にして正気に戻したフルーリーと、事件の黒幕の老人が死に行く意識の中で孫娘の耳元で囁いた「我々の同胞が必ず奴らを皆殺しにする」という言葉。
その言葉に愕然として体の力が急に抜けたような気がした。 「報復の連鎖」を改めて意識させられた救われない現実。
 
主人公であるフルーリーは、サウジ側からの厳しい監視、規制の下で調査をし、テロリストを探し出していく過程では勇気と行動力があり判断能力に優れた精鋭捜査官というヒーローそのものだけれど、アメリカに介入されて統治能力の弱い国内の実態を曝したくないサウジとアラブ側への刺激を極力避けたいアメリカ政府の反対を押し切る為に、ワシントンポストの記者を利用し、サウジ大使に脅迫まがいな事までしてサウジアラビアでの捜査任務を得たのが、FBIの同僚、しかも親友が犠牲になったからという極個人的な理由だったように描かれていたのがある意味面白い。

FBIメンバーの任務の監視役として彼らと行動を共にしていたサウジアラビア国家警察官のアル・ガージー大佐を、サウジ側のヒーロー的存在と位置づけた事も効果的だったと思う。 実直で正義感に溢れ、家族や部下を大切にする顔立ちも精悍な人物で、イスラムでの作法や慣習をフルーリーたちに教え、厳しく監視はするものの、自国をも揺るがしかねないテロ首謀者をあげるために、可能な協力は惜しまないという少しでき過ぎではあるけれど、とても魅力的だった。

フルーリーとアル・ガージー大佐が任務中に車の中で交わした何気ない会話の中で、お互いがそれぞれに家族の幸せを願う気持ちや平和を望む想いを吐露し、お互いを見る表情が柔らいでいったシーンは印象深い。 こんな風に現実の世界でも融和を図る事ができればいいのにと思わずにはいられない。

紅一点のメイズは法医学捜査官という事で知的分野での活躍が目立つのだけれど、どうしてもエイリアスの乱暴アクション(笑)のシドニーとダブってしまい過激なアクションを期待してしまって少々物足りない気もしたけれど、終盤、テロ組織に捕らえられた仲間の一人のアダム・レビットの救出先で見せた、アラブ人の大男との捨て身の格闘は迫力ありすぎだった。 止めの一撃は親しい友人を殺された事への復讐以外の何物でもなかった気がする。

首謀者を捕らえる事はできなかったものの、アダムを無事救出し、テロ組織の拠点を破壊して建物からフルーリーたちが撤退する中、メイズのちょっとした行動が急激な事態の変化へと繋がっていったのも、意外性のある展開だった。
甘っちょろいと言われそうだけれど、アル・ガージー大佐はせめて名誉の負傷くらいにしておいて欲しかった。

他の映画を見ているのと何一つ変わらない状況の日本の映画館で見ている私には、この種の映画を、アラブ系アメリカ人、いわゆる白人、キリスト教徒、イスラム教徒が入り混じったアメリカの映画館で見るという事自体がどういう事なのかとても想像が及ばない。


この映画は1996年6月26日のホバル・タワーズ爆破事件と2003年5月12日のリヤド住居区爆破事件を基にしているそうです。 ウィキペディアによるホバル・タワーズ爆破事件の記事はこちら
実際の事件では19名のアメリカ軍人と一人のサウジアラビア人が死亡、多国籍372人の負傷者。
映画の中ではアルカイダの関与に疑惑の目を向けるような発言が何度もでてくるけれども、実際の犯行はアルカイダではないとされています。

全編サウジアラビアでの撮影に見えるこの映画、中東ロケはアラブ首長国連邦の首都アブダビで8日間行えただけで、実際に砂漠のシーンを取ったのはアメリカアリゾナ州の砂漠地帯だそうで、気温は44度から47.5度くらいまで上がる酷暑の中、朝の4時から昼2時までの間の撮影だったそうです。 確かジェニファーは熱中症になって大変な思いをしたのではなかったのかな? 華やかに見える俳優業も決して楽なものではないですね!
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クイーン
2007/11/10(Sat)
「クィーン」
原題 : THE QUEEN (2006年 英、仏、伊 104分)
監督 : スティーブン・フリアーズ
出演 : ヘレン・ミレン、マイケル・シーン、ジェイムズ・クロムウェル
鑑賞日 : 10月27日 (DVD)
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1997年8月、パリでダイアナが交通事故に遭い、帰らぬ人になった。王家においてダイアナはいつも頭痛の種で、民間人となっていたダイアナの死は本来関係のないことであった。女王はコメントを避けるが、ダイアナを称える国民の声は次第に高まっていく。やがてダイアナの死を無視し続ける女王に、国民の非難が寄せられるようになる。若き首相ブレアは、国民と王室が離れていくことに危機を感じ、その和解に力を注いでいく。 (goo映画より)

よくこの映画を作ったなというのが正直な感想です。
王室に生まれ育ち、若くして女王に即位してからは英国と英国民のためにその身を捧げて生きて来たエリザベス2世の女王として、また一人の人間としての苦悩と戸惑いを確執のあったダイアナ元皇太子妃の非業の事故死後の一週間に焦点を当てることによって見事に描き出している。
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物語としてはとてもよく出来ていると思うのだけれど、王室という閉ざされた世界の人物たちの、家族間で交わされた会話や言動をここまで赤裸々に描いてしまっていると、かえってその信憑性を疑いたくなってしまう。
チャールズ皇太子は本当にあそこまで女王に対してダイアナを擁護したのか・・・、フィリップ殿下はあんなにダイアナが嫌いだったのか・・・とか。
この映画で描かれている女王の人となり、意外なほど質素な生活をし、むやみに人を使うことも無く、一種自己犠牲的で気高い精神の持ち主である女王に心揺さぶられない人はあまりいないのではないだろうか?
それに比べてダイアナに対してのフォローが少し足りないような気がしてしまった。
それでも、現存しているエリザベス女王、フィリップ殿下、チャールズ皇太子、ブレア夫妻をどことなくご当人たちを髣髴とさせる役者を使っているのに対し、ダイアナの描写はすべて実写映像を使っている事で、映画の中の王室を現実と混同して感傷的・同情的に入り込みそうになるところを上手く引き戻してくれているような気がする。

それと同じような役目を果たしているのがトニー・ブレアと妻のシェリーではないかとも思う。
トニー・ブレアは始めのうちこそ国民の声に耳をかさない女王の言動を、生前のダイアナとの確執による感情的なものと思い、ダイアナの死に対して追悼声明や国葬を勧めたりと国民の声を背負った形で女王に働きかけていたが、国民の王室に対する真意を知って愕然としながらも、一国の主としての重圧に耐えながら伝統を重んじ、王室と国民が共にある理想の英国の姿を信じて毅然に振舞う女王の姿に触れるうちに女王に畏敬の念を抱くようになる。
そして、そんなブレアをシェリーが事あるごとに冷やかし皮肉たっぷりの言葉を投げかける。
人権問題に詳しい辣腕弁護士であったシェリーの実際の皮肉たるやどれほどのものだったんでしょうね。
シェリー・ブレアご当人は来年10月に自叙伝を出版するそうです。 出版元曰く「非凡な状況に置かれた家族についての、温かく親密で、時にとても愉快な叙述になる」そうなので楽しみではあります。

個人的に一つとても気になったのは、最愛の母親を失った二人の王子を慰めるためにフィリップ殿下がしきりに鹿狩りに誘おうとする事。 文化が違うのでわかりませんが、あの状態にある時に動物を殺傷させるという行為が果たして王子たちの慰めになるんでしょうか?

この映画で第79回アカデミー賞主演女優賞を受賞したヘレン・ミレンの演技は演技というよりエリザベス女王そのままという感じです。 受賞後だったか、女王からお茶会に招かれたそうですが、ツーショットを見てみたいような・・・。
ヘレン・ミレンはこの映画の前に「エリザベスI世」というTV作品に出演しています。
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共演者もジェレミー・アイアンズ、ヒュー・ダンシー(ルワンダの涙)という魅力的な布陣。
トニー・ブレアに似ているから起用されたのかと思い、多分初見だと思ったマイケル・シーンは、実はいろんな映画で見ていました(『 』の映画)。 ぜ~んぜん思い出せない。

2002 「Heartlands」(ダミアン・オドネル監督)
    『サハラに舞う羽根』(シェカール・カプール監督)
2003 「Bright Young Things」(スティーブン・フライ監督)
    『アンダーワールド』(レン・ワイズマン監督)
    「The Deal」(スティーブン・フリアーズ監督)
    『タイムライン』(リチャード・ドナー監督)
2004 「Laws of Attraction」(ピーター・ヒュ-イット監督)
2005 「Dead Long Enough」(トム・コリンズ監督)
    『キングダム・オブ・ヘブン』(リドリー・スコット監督)
    「The League of Gentlemen's Apocalypse」(スティーブ・ベンデラック監督)
2006 『アンダーワールド:エヴォリュ-ション』(レン・ワイズマン監督)
   

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記憶の棘
2007/09/09(Sun)
「記憶の棘」
原題 : BIRTH (2004年 米 100分)
監督 : ジョナサン・グレイザー
出演 : ニコール・キッドマン、キャメロン・ブライト、ダニー・ヒューストン、ローレン・バコール
鑑賞日 : 9月1日 (DVD)


ニューヨークで家族と暮らすアナ(二コール・キッドマン)は、30代の未亡人。10年前に夫のショーンを心臓発作で亡くして以来、悲しみにくれていたが、最近になりようやく新しい恋人、ジョゼフ(ダニー・ヒューストン)のプロポーズを受ける決意がついた。ところが2人の婚約パーティーの夜、ひとりの少年(キャメロン・ブライト)がアナのもとを訪ねてくる。少年は「僕はショーン、君の夫だ」とアナに告げる。最初は信じていなかったアナだが、死んだ夫と自分しか知らない出来事を、ショーン少年が話し出すうち、疑いが生じ出す。「彼は本当に生まれかわりかもしれない」と。 (goo映画より)

ニコール・キッドマンのどこか翳のある表情と抑えた色彩が非情に魅力的だった映画。

人々の心の襞の描写を次々に重ねていくような見せ方だったので、カメラワークにクセがあり、 一人の人物のズームが多く、画面が長く静止しているシーンが多い。
効果的だったりそうではなかったりだったとは思うが、圧倒的だったのはコンサートホールでのアナの表情のアップ。
彼女の心と頭の中で、劇場に来る前に、もう私を傷つけないでと拒絶の言葉を発した自分の目の前で、それがショックで失神してしまった10歳の少年へのいろいろな感情が交錯しているうちに、甦ってくる亡き夫ショーンへの愛情に心を揺さぶられ始めたアナの表情。 キッドマンのこの演技は背筋がゾォーっとしてくるほど素晴らしかった。
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ストーリーとしてはちょっと微妙・・・。 
冒頭に出てきた亡きショーンの友人の妻の行動が怪しくて、またそれを演じているのがアン・ヘッシュだからこの人物が曲者・・・という直感(笑)。  婚約パーティーでアナに渡そうと持ってきたプレゼントを公園の草むらに埋めているのを彼女のあとをつけてきた少年ショーンは見ているんだろうし・・・。 
それでも、アナ同様、輪廻転生でこの少年がショーンの生まれかわりなのかも・・・というミステリアスな気分に浸りながらこの映画を見る事はできたので満足してますが。

断られながらも3年間プロポーズし続け、ようやくアナとの婚約にこぎつけたジョゼフの心理状況もとても興味深かった。
アナの記憶の中のショーンに対しては、死んでしまった者として同じ土俵に立っていないと割り切っているのだろうけれど、たかが10歳とはいえ、ショーンの生まれ変わりと主張する生きている存在のショーンに対してはだんだん自制心を失っていく。 少年に対してというより、少年に心揺さぶられるアナに対する嫉妬がそうさせたのかもしれないけれど。
一度はアナから離れはしたものの、少年がショーンの生まれ変わりでないとわかったアナからやり直したいと言われてすんなり許してしまうあたりは惚れた弱みか・・・。

少年役のキャメロン・ブライトの演技力も秀でるものがあると思うけれど、どうも、あの丸顔が・・・。 10歳の少年でももう少しキリリとしてくれていたら、もうちょっと嘘っぽくなかった気もするし、アナとのツーショットも絵になったかも。 
でも、なぜあの子はショーンになりすましたりしたのだろうか??? 普通の小学生として学校に戻った後で、アルバムの撮影で見せたあのわざとらしいまでに屈託のない笑顔が異様な印象として目に焼きついている。

アナと亡き夫ショーンとの仲も、実は誰もがうらやむ絵に書いたような幸福な夫婦ではなかったという事が、切なくミステリアスに盛り上がってきたストーリーに水を差したようにも感じた。
ただ、ショーン少年のアナへの別れの言葉で、アナが夫ショーンから深く愛されていた幸せな妻ではなかったという事に初めて気がつかされたのだったらなんと酷な事。

邦画のタイトルは??という事が多いけれど、「BIRTH」という原題に「記憶の棘」とつけたのはなかなかセンスがあるなと思いました。
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カオス
2007/05/20(Sun)
「カオス」
原題 : CHAOS (2006年 加、英、米、 107分) 
監督 : トニー・ジグリオ
出演 : ジェイソン・ステイサム、ライアン・フィリップ、ウェズリー・スナイプス
鑑賞日 : 5月4日 (DVD)


武装した強盗団が銀行を襲撃。人質をとり立てこもった彼らのリーダー・ローレンツ(ウェズリー・スナイプス)は、包囲する警察に対し、交渉人としてコナーズ刑事(ジェイソン・ステイサム)を呼ぶよう要求する。コナーズは以前担当していた事件での失態で謹慎処分中だったが、新人のデッカー(ライアン・フィリップ)とコンビを組むことを条件に謹慎を解かれて現場に復帰。強盗事件現場での交渉に乗り出した。そんなコナーズに対しローレンツは「混沌<カオス>の中にも秩序はある」と謎めいた言葉を残し……。(goo映画より)

カオスの理論の説明や、主要登場人物それぞれの周辺事情や係わり合い、事件解決のための伏線など、ストーリーの前半に様々なピースがばらまかれていて、後半は、それがまるで磁力にでも引き寄せられるように繋がり合って観客を結末へ導いていくという、なかなか洒落た展開になっています。 これがまさに劇中でのカオスの理論なのね。
カオスの理論とは・・・
「初期の誤差が増幅され、将来は予測不可能になる。 であるなら、一見不規則に見える現象も単純な数式で表せる」という数学の理論


しかしながら、この映画の面白みはキャスティングにあったような気がします。 (特に私には後述の理由があるので)
ジェイソン・ステイサム、ライアン・フィリップ、ウェズリー・スナイプスの役者が担わされている役をどう読むか! 誰が悪で誰が善なのか、それにつきたような! といってもライアン・フィリップ扮するデッカーはどうみても善なので、問題は残りの2人。 強盗犯のウェズリー・スナイプスを見ながらも、「インサイド・マン」のストーリーやヒーロー役だった「ブレイド」が浮かんだり、「セルラー」でしか見たことのないジェイソン・ステイサムがどっちにでも転べそうなのが、一発回答を出してしまいそうな話の流れにいい緊張感を与えてくれていたような・・・。
でも、個人的に一番の注目は共に事件を捜査していたデュラーノ刑事役だったニコラス・リー。 彼はあの「X-file」で何度寝返ったり、生き返ったりしたかわからないくらいの曲者クライチェクを演じているだけに、何か犯人側にかかわりがあるんじゃないかとどうにも信用ならなくて(笑)、それが特にジェイソンの正体の判断を鈍らせたんだよな・・・。 ま、こんな風に考えるのはX-fileファンくらいでしょうけどね。 ただ、ニコラスもあの頃とくらべて顔つきがちょっとふっくらして鋭さがなくなった分、性悪としての魅力は減ってしまったような。 でも、すっごく久しぶりに姿を見られて嬉しかったなー! デイビッドもジリアンも最近見かけないし・・・。

事件の謎解きはそれなりに面白かったけれど、コンピュータ解析が得意の同僚の刑事などの協力があったとはいえ、デッカー刑事のひらめきぶりは、ちと鮮やか過ぎますね。 もう少し行き詰まりのようなものがあっても面白かったかと。 せっかくの紅一点だった、コナーズ刑事の元カノで未練たらたらなテディーにもっと美味しいところを分けてあげれば良かったかも(笑)

ライアン・フィリップは「父親たちの星条旗」でも誠実で優しい衛生兵ドクを好演していましたが、本音を吐露できない静な役回りであり、動のアイラに観客の心が引き寄せられがちだったのでちょっと損したかなとも思いましたが、この作品の刑事役の方が同様なエリートながら、くせのある役者に混じっていたせいか、生き生きととても魅力的に見えました。 このカオスで損な役回りは中途半端な印象しかスクリーン上で残せなかったような気がするウェズリー・スナイプスかな?
 
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クリムト
2007/05/14(Mon)
「クリムト」
原題 : KLIMT (2006年 オーストリア、英、仏、独 97分)
監督 : ラウル・ルイス
出演 : ジョン・マルコヴィッチ、ベロニカ・フェレ、サフロン・バロウズ
鑑賞日 : 5月3日 (DVD)


1918年、第一次世界大戦のさなかに、病院で死を迎えようとしている男がいた。彼の名はクリムト(ジョン・マルコヴィッチ)。ウィーンを代表する天才画家だ。見舞いに来た弟子エゴン・シーレの存在にも気づかず、彼の頭に人生が走馬灯のように去来する。19世紀末、保守的なウィーンでの酷評をよそに、彼の描く絵画はパリでは絶賛される。パリ万博のサロンで美しい女性と出会ったクリムトは、彼女から肖像画の依頼を受けた。ウィーンに帰ったクリムトは大臣から助成金の打ち切りを聞くが、作品制作を続けることは止めない。しかし、やがて現実と虚構が混じり始める。(goo映画より)


クリムトの何をどんな視点で捉えた映画なのか、期待を持って見た映画でした。
ストーリー的には彼の生涯を描いた伝記的なものでもなければ、一つのエピソードに絞って彼の人物像や作品に迫るというアプローチでもなく、何となく散漫なのだけれど、全編を通じて焦点がほんの少しだけボケたようなふんわりとした映像の中に繰り広げられる生と死や愛とエロスの妖しげな美しさが印象的でした。
19世紀の世紀末は、1880年頃に最高潮だったジャポニズムが衰退に向かい出した頃らしいのですが、 映画の中では薄い着物をガウンがわりに羽織っている女性や、調度品のアクセントに日本の小物が使われていたりとジャポニズムがセンスよく息づいていたように思います。
クリムトは、絵のモデルなどとは肉体関係を結ぶのに、恋人のミディとはあくまでもプラトニックな関係を保ち続けるなど、彼の女性観というのはいったいどのようなものだったのだろう?
劇中に出てくるクリムトの絵には「接吻」をはじめ、好きな作品がけっこう出て来たので、それだけでも夢見心地だったけれど、クリムトのアトリエで創作に使っていた金箔が舞い散るシーンは特に幻想的で美しかった。
クリムト役のジョン・マルコヴィッチは怪演などと評されていたけれど、この作品では、内向きなエネルギーでエモーショナルな面は押さえた演技だったと思います。

「接吻」は個人的にとても好きな絵で、もう10年以上前に1000ピースのジグソーパズルを1ヶ月くらいかけて作った事があります。 フレームに入れて今でも大切に飾ってあります。 あの金の部分はとっても大変だった・・・、私じゃなくて同居人の係りだったけど(笑)
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